母の旅立ち。。
去る1月17日未明、母が急逝しました。
体が不自由で外出の出来なかった母が唯一楽しむことのできた風景・・・
マンションのリビングから眺める高幡不動尊に沈む夕暮れの風景です。
上の写真は亡くなってマンションに連れて帰ってきた17日の夕暮れの写真。。
いつもと同じように時は流れ、いつもと変わらぬ美しい夕暮れ時・・・
ただ一つ、いつもと違うのは、この風景をみる母がいないことだけ・・・。
会場と兄の仕事の都合で、昨日葬儀を執り行いました。
昨日はちょうど初七日にあたり、初七日の法要も一緒に終え、今日は一段落して気が抜けた状態でいます。
母が亡くなって2日後に夢を見ました・・
嬉しそうな顔で母が歩いている夢。。
母が歩いている姿を見たのは何年振りかな・・・。
母が願っていたのはいつか自分の足で歩けるようになることだったから・・
やっと願いが叶って・・あの世できっと元気に歩いているんだな・・・とホッとしました。
長年の痛みとの闘いから解放されて母は楽になってあの世で楽しんでいるのかも知れませんね。。
入退院を繰り返していた母の死は覚悟が出来ていたはずなのに・・
あまりにも突然その時がきてしまったせいか涙が止まらない日々でした。。
16日の夕食後、突然容態が悪化して救命救急センターに搬送されたため、
酸素マスクをつけられたり、病院では誤飲を防ぐために管を通されたりで・・
何の会話もできないまま・・母は突然の心臓破裂で旅立ってしまいました。
命を救うために必要な処置のために、人間は最後に伝えたい事も伝えることができないのだと・・・人生の無情さを感じました。
あの時、もし管を通されていなかったら、母は何を最後にしゃべったのかな・・・とそんなことを考えたり・・・もっとこうしてあげれば良かった・・どうして心臓が弱っていることに気がつかなかったのかな・・と後悔しては涙をこぼしたり・・・。
でも、通夜、葬儀、火葬、収骨・・・・としていくうちに気持ちが整理され少しづつ悲しみから解放されていくのが解って・・・お葬式ってよく出来ているな・・・とあらためて感じました。
死者を現世から極楽浄土へ送る儀式は、同時に遺されたものの悲しみを上手く消化していく儀式なのではないかと・・・母の葬儀を体験して思いました。
普段はまったく興味を持たず、無知だった宗派というものも今回あらためて知ることができました。
お坊さんから浄土宗は「南無阿弥陀仏」を唱えれば必ず仏の救いをうけて平和な毎日を送り、お浄土に生まれることができる・・という教えを説いているのだというお話しを伺ったり・・・・
姿形はなくなっても母は必ずどこかで見守ってくれているのだと言うお坊さんのお話を聞いているうちに、母の死を受け止めることができるようになっていきました。
母の葬儀の日に素敵な詩が届きました。
Rさんありがとうございました。。
1.
幸せの涙ってしってますか?
キット何かを思い、何をして上げたい
誰かを想い、誰かから想われているから
キット流れてくるものだよね。
2.
悲しさの涙って知ってますか?
きっと何かが出来ず、何も出来ない
誰かが去って、誰かに去られる
キット泣きたいから出るんだね。
3.
怒りの涙って知ってますか
本気で怒り、真剣で想う
誰かを憎み、誰からか妬まれる
こんな涙はすくないね
4
本当の涙って知ってますか
心に残り、想いであるから
心の底から感謝するから
キット大粒の涙になって出てくるんだね
そう・・・
私の流したたくさんの涙も、きっと母への感謝の涙だったのかもしれません。。
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